竹下佳江さんが、
兵庫県姫路市を活動拠点とする新チーム
「ヴィクトリーナ姫路」の監督に就任しました。
竹下佳江さんは、バレーボール女子の
元日本代表のキャプテンを務め、
不動のセッターとして2012年ロンドン五輪では
28年ぶり銅メダルを獲得に大いに貢献した
日本代表の中心的選手でした。
6月7日に東京都内で「ヴィクトリーナ姫路」の
発足会見が行われ、その会見で竹下佳江さんは
「日本一を目指し、また五輪でメダルを
目指して戦える選手を輩出したい。
新たなチャレンジになる」と
決意表明しました。
この記事では、
新監督で母親でもある竹下佳江さんを
チェックしたいと思います。
選手としての竹下佳江
竹下佳江(たけした よしえ)
生年月日: 1978年3月18日 (38歳)
出身地: 福岡県北九州市
身長: 159 cm
バレーボールは3歳上の姉の影響だそうで
小学3年生の時に始め、
不知火女子高等学校在学中には
世界ユース選手権で優勝を経験しました。
1996年 不知火女子高等学校から、
当時は葛和伸元監督率いる
NECレッドロケッツへ入団
1997年 全日本代表に初選出され、同年に
開催された「ワールドグランドチャンピオンズ
カップ」では、正セッターの控えとして
出場も果たしました。
2000年 1999/2000Vリーグでは、
NECレッドロケッツの正セッターとして
全勝優勝に貢献し、シドニー五輪に向けて
全日本代表に選出されました。
小さなセッターを使うから五輪に出られなかった
2000年開催のシドニー五輪最終予選には
紆余曲折がありながらも正セッターに
抜擢されました。
日本は順調に勝ち上がったものの、
イタリアと中国に連敗し、接戦の末、
クロアチア戦にも敗北。
韓国との最終戦を待たずに予選敗退。
日本女子バレー史上初となる
五輪出場権を逃すことになりました。
バレーボール選手として、
決して高くはない身長の竹下佳江さんを
正セッターに抜擢したことを、
予選敗退の要因としてバッシングに晒されました。
竹下佳江さん自身、
人を殺めてしまった犯罪者のような
気持ちになってしまったという内容のことを
後述されています。
バレーボールを引退
オリンピック予選を敗退した以降は、
世間のバッシングに晒されつつも
喜ばしいい成績は残しました。
しかし、五輪出場を果たせなかった責任を
感じ続けた結果、2002年4月にNECを退社し、
24歳でバレーボールを引退することになりました。
そして、故郷の福岡県北九州市へ戻り
ハローワークへ通いつつ就活をはじめました。
しかしながら、当時のVリーグチーム、
JTマーヴェラスの一柳昇監督から再三に渡る
熱烈な復帰のオファーを受けます。
その熱意に応えた竹下佳江さんは、
バレーボール再挑戦を決意します。
バレーボール復帰!
2002年8月にJTマーヴェラスで
バレーボール復帰を果たしました。
復帰後の練習では、
ブランクを埋めるために通常練習のあとも
一柳監督は2時間近く500球も
竹下佳江にボールを投げ続けるという
猛練習だったそうです。
2003年には、全日本代表にも復帰し、
2004年のアテネ五輪にも無事出場し
5位入賞を果たしました。
2004年5月(26歳)に、
当時、現役日本人女子選手で唯一の
プロ選手契約をJTと結び、
2005年には全日本代表キャプテンに指名されます。
2006年世界バレーでは
日本人で初めて大会MVPを受賞しました。
2007年には怪我をしたものの、
9月のアジア選手権で24年ぶりの優勝に貢献しました。
2008年8月の北京五輪にも
女子バレーは出場し5位入賞。
2009年(31歳)、
日本代表キャプテンを荒木絵里香へ譲り、
自身は選手兼コーチとして活躍。
全日本代表のキャプテンを降りた後も、
チームの中心選手として2010年の
世界選手権で銅メダルを獲得しました。
所属チームのJTマーヴェラスにおいては、
「2010/11Vプレミアリーグ」で
チーム史上初のリーグ優勝、
「第60回記念黒鷲旗全日本男女選抜
バレーボール大会」でも優勝し、
チームの2冠達成におおいに貢献。
日本28年ぶりの銅メダル
2012年(34歳)、
オリンピック3大会連続出場となる
ロンドン五輪の代表メンバーに選出。
大会直前の練習中に指にケガをしましたが、
テーピングでの応急処置で
五輪のコートに立ちました。
そして、日本女子バレーは
ロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得してから
28年ぶりにロンドン五輪で銅メダルを獲得!
五輪終了後の2012年9月竹下佳江さんは
JTマーヴェラスを退部。
2002年8月入部から約10年間、
不動のセッターとしてチームの躍進に
大いに貢献しましたが休養に入ることに。
2013年5月に日本バレーボール協会理事に就任し、
7月25日に35歳で現役引退を発表。
竹下佳江さんの身長
竹下佳江さんの身長は、
バレーボール選手としては
とても低い159cmです。
しかしながら、
その身長を補う的確なバックトスなどの
技術で「世界最強のセッター」と
いわれるまでになりました。
竹下佳江さんのセッターとしての
実力・技術は、所属したチームの
どの監督も絶賛しています。
バレーボール選手として
決して高い身長ではないにも関わらず、
35歳での現役引退まで日本女子バレーの
中心選手として活躍できたのは、
天性の技術的なことはもちろん、
素人では考えられないような、
ご本人の努力があってこそだと思います。
そして、竹下佳江さんの活躍のおかげで
背の低いバレーボール選手に
希望を与えたのも事実です。
夫はプロ野球選手
そんな竹下佳江さんの気になる
結婚や夫(旦那さん)に関しては、、、
2012年3月、竹下佳江さんが33歳で
プロ野球選手で広島東洋カープ投手の
江草仁貴(当時32歳)と結婚。
ちなみに江草仁貴さんは
離婚歴のあるバツイチだそうです。
ロンドン五輪前に結婚されていたようで、
もちろん「できちゃった婚」ではないです。
この結婚は番記者はもちろん、
双方のチームメイトも知らなかったようで、
「ステルス婚」と一部のマスコミで
報道されましたね。
そして、2015年5月24日に3260gの男児を出産され、
子育てしつつも、バレーボール関連の仕事で
大忙しのようです。
さすが、母としての竹下佳江さんもすごいですね。
ヴィクトリーナ姫路の監督へ
シドニー五輪予選敗退により
様々なバッシングに晒されました。
そして、そのショックから、
竹下佳江さんはバレーボールの世界に
自身の居場所はないと感じ
24歳で引退することになりました。
しかしながら、竹下佳江さんは
そんな挫折から這い上がり、
バレーボールの選手として再びコートに立ち、
「世界最強のセッター」
「日本屈指の司令塔」
などと呼ばれるまでになりました。
そんな、竹下佳江さんに監督のオファーが
来ないはずはなく、この度の
「ヴィクトリーナ姫路」の監督就任は、
ファンとしてとても嬉しいことです。
しかしながら、「ヴィクトリーナ姫路」は
チームをとして立ち上がったばかり、
その上、お子さんは1歳、
育児としてはとても手のかかる時期です。
監督、育児とこれまで経験のない忙しさに
「新たなチャレンジ」と前向きな姿勢に憧れます。
竹下佳江さんは、
挫折から栄光を勝ち取った人。
監督としてはこの上ない人だと思います。
「ヴィクトリーナ姫路」を日本一、
世界一のチームにしてほしいですね!
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