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村正の価格(値段)はいくら?真田幸村も愛用なのに、なぜ村正は妖刀?

真田幸村

日本刀「村正」は時代劇や映画などに登場する際も妖刀として存在感抜群です。

村正は、国宝や重要文化財に指定され、いわゆる名刀といわれる「正宗」と違い、妖しい魅力がある妖刀として、正宗と同様に知名度は抜群です。

この記事では、村正の現在の価格、村正の発祥地や妖刀といわれる所以などについて調べてみました。

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村正の価格(値段)はいくら?

村正
https://rocketnews24.com/2016/09/21/802424/

日本刀「村正」といば、以前は男性の間(特に年配の方)でのみの人気アイテムでした。

しかし、最近では、ゲームやアニメに登場するようになった影響からか、若い女性の間でもよく知られる存在になっています。

村正でもピンからキリまであるようで、本物で状態がいいものだと、

  • 初代村正の作で、1,500万円
  • 二代目村正の作で、1,500万円
  • 三代目村正の作で、850万円

ネットオークションなどでは、数十万円といった価格もあるようですが、やはり偽物も多く出回っているそうです。

このような刀剣は村正に限らず、素人が興味本位で手を出すと、違う意味で「妖刀」になりかねませんのでご注意を。(カモにされますよ。)

ちなみに、名刀と言われる正宗は、2,500万円や5,000万円といった価格がつくようです。

また、村正の発祥の地である伊勢国桑名、現在の三重県桑名市では、実物が鑑賞できる展示会や包丁がとても人気のようです。

そして、村正の包丁の価格は1~4万円で、一般的な家庭用の包丁よりは割高です。

なぜ、村正は妖刀といわれるのか?

日本刀-村正
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-7c-5d/to7002/folder/1211233/97/35763697/img_2?1349339906

村正は、現在の三重県桑名市である伊勢国桑で三代に渡って栄えた刀鍛冶の名です。

初代は特に有名な室町時代の「千子村正」です。

そして、初代から代を重ね、江戸時代まで続いたようです。

その間に、なぜ、村正は妖刀といわれるようになったのでしょうか?

下記にまとめてみました。

松平清康(徳川家康の祖父)が千子村正で斬られ即死

徳川家康の祖父にあたる松平清康が、天文4年(1535年)12月、織田氏の尾張の守山城に侵攻中、突然、家臣の阿部正豊に斬られ即死

これを「守山崩れ」と呼ばれる暗殺事件で、未だにいくつかの不審な点があるようです。

そして、 この暗殺事件で使用された刀が「千子村正」と伝えられています。

松平広忠(徳川家康の父)も村正で斬られ殺害される

徳川家康の父である松平広忠が、天文18年(1549年)、乱心した家臣に城中で殺害される事件。

この事件で使用された刀も「村正」だといわれています。

しかしながら、広忠の死因には諸説あり、そのうちのひとつが、この「村正」で殺害された事件で創作されたともいわれています。

松平信康(徳川家康の嫡男)の介錯に村正が使用された

徳川家康の嫡男である松平信康が、天正7年(1579年)、築山殿(家康の正室)と武田氏への内通を、織田信長に疑われました。

その疑いを晴らすため、家康は嫡男である信康を切腹を命じ、その際の介錯に使用された刀が村正」であったと伝えられています。

徳川家康も村正で怪我をしていた

家康も、駿河今川氏で人質として暮らしていた幼少期に、「村正」の短刀で手を切ったとも伝えられています。

そして、関ケ原の合戦の際にも、敵将を討ち取った槍の検分の際、家臣が誤って家康の指を切ってしまったといわれ、その際の槍頭が「村正」でした。

これらのことから、徳川家では「村正」を忌み嫌い、すべて廃棄処分になりました。

しかし、村正が「妖刀」といわれるのは、徳川家からみた場合であって、徳川家を敵視する側にとって村正は名刀でした。

そのようなことから「村正」を愛用する武将も少なからずいました。

真田幸村もその武将の一人です。


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村正は真田幸村も愛用した名刀!

真田幸村-村正

いつの時代も人気の真田幸村ですが、その幸村が愛用した刀が「村正」といわれています。

幸村は、大坂夏の陣では活躍したものの最期は討ち取られてしまうのですが、その大坂夏の陣で、家康の本陣を襲ったのはとても有名な話です。

もちろん、家康の本陣を襲ったときにも「村正」を手にしていたわけですが、その際、村正を家康に投げつけたともいわれています。

本陣にまで突入してくる幸村などの攻撃により、一時は自害も覚悟した家康でしたが、結果は皆さんのご存知の通りです。

しかし、もし、家康が幸村に追い詰められて自害することになった際、切腹に使用する刀は、巡り巡って、、、「村正」だったかもしれませんね。

村正は名刀である! -まとめ-

妖刀-村正
出典 pbs.twimg.com

松平家から始まり、徳川家になってもその災いと共にあるのは「村正」でした。

家康の祖父、父、当時の嫡男、そして、家康自身もケガなどの災難に会うということで、よほどの因縁があるのでしょう。

そうした伝承や言い伝えは、多少は創作されたものではあると思いますが、そのような逸話があるからこそ、「村正」は名刀であり妖刀たる所以なのでしょう。

また、「村正」という名の、なんとも言えない美しくも妖しい響きに魅了されるのでしょう。

松平家から徳川家と災いをもたらした「村正」ですが、家康自身は「村正」によって 命を落とすことがありませんでした。

家康の最期は、鯛の天ぷらによる 食中毒が原因というのは有名ですね。

そして、家康が食べた天ぷらの鯛を調理したのが 「村正」の短刀だった、、、

のかは分かりませんが、あってもおかしくはないですよね。

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雑学
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