篠塚建次郎は現役ラリードライバー!嫁(妻)と息子でペンションも経営。

篠塚建次郎
篠塚建次郎

パリダカで日本人初の総合優勝
果たしました篠塚建次郎さん。

現在もレースに参戦しており、
妻のひろ子さんと共にペンションを経営。

 

また、篠塚建次郎さんの息子は俳優で、
俳優の三浦友和さんとも親戚です。

この記事では、
かつてのラリードライバーでの活躍から
現在の篠塚建次郎さんを調べてみました。

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篠塚建次郎のプロフィール

篠塚 建次郎(しのづか けんじろう)

1948年11月20日生まれ、
69歳(2018年2月現在)

身長:168.5cm

体重:58.5kg

現在でも日頃から
トレーニングはしているそうで、
ラリードライバーとして活躍していた頃の
体型と現在の体型は、
ほとんど変わっていない
ところがさすがですね。

出身地は、東京都大田区。

東海大学工学部工業化学科卒業。

三菱自動車の社員ドライバーとして活躍。

 

世界ラリー選手権 (WRC) と
パリ・ダカール・ラリーでは
日本人初の優勝を果たしました。

SUV人気の火付け役ともあって、
現在のマイカーは、
マツダCX-5と日産エルグランド。

やはり、セダンやスポーツカーではないんですね。

愛称は「シノケン」

子供の頃から「乗り物」大好き

子供の頃はより、
乗馬〜自転車〜オートバイと
色んな「乗り物」に接し、
大学入学後の1967年に
運転免許を取得します。

 

しかし、
若い頃の篠塚建次郎さんは
車には興味はあったものの、
ラリーという言葉も知らないばかりか、
モータースポーツにも
全然興味がなかった
そうです。

 

そのラリーに参加するきっかけは、
大学の友達からの誘いで
ナビゲーターとして乗車したことでした。

助手席でのラリー初参加でしたが、
衝撃的な面白さを体験し、
自分でも運転したくなったそうです。

 

そして、免許を取得して間もない
1967年に大学1年生でラリーデビュー

その後、
ラリードライバーとしての活躍が
有名になり、大学3年の時に
三菱自動車のラリーチーム
「コルト・モータースポーツクラブ(CMSC)」にスカウトされます。

 

そして、当初はナビゲーターでしたが、
大学4年生でドライバーとして参戦し
いきなり優勝します。

子供の頃の乗馬から始まり、レースでは
いきなり国内チャンピオンになるのは、
やはり天性のものなんでしょうね。

 

篠塚建次郎は超一流のラリードライバー

大学卒業後の1971年には
そのドライバーとしての腕前を評価され、
三菱自動車に入社しました。

しかし、三菱自動車では
プロドライバーとして契約はせず、
ドライバー兼サラリーマンとして
スタートしたそうです。

 

本社勤務の宣伝部〜
販売会社でセールスマン〜
整備会社でメカニック〜
これらに従事しながら、
日本国内のラリーレースに出場します。

日本でたった一人の
サラリーマンドライバー
だったそうです。

 

平日はサラリーマン、
週末はドライバーとして活躍だったので、
睡眠不足のまま会社へ行くこともあったとか。

そんな中でも1971年、
1972年には全日本ラリー選手権で
2年連続シリーズチャンピオン
見事獲得します。

ちなみにそのレースで乗った車は
初代ギャランの「コルトギャラン1600L」で、まだ70年代で排出ガス規制が厳しくなかった頃です。

排出ガス規制がゆるかった頃の
ガソリン車でのラリーレースって、
おもしろっかったでしょうね。

 

国内トップドライバーに。しかし、

1974年、25歳でオーストラリアで
開催されていた
サザンクロス・ラリーに挑戦します。

そのレースでは、
途中リタイヤだったものの
大人と子供の差を見せつけられた
結果だったそうです。

 

その後の戦績は悪くはなかったものの、
海外ドライバーとの力の差を
痛感したものでした。

そして、1976年の
WRCサファリラリーで
日本人初となる6位となり、
ライトニング・ケンジロー
という名で知られます。

 

そんな矢先、三菱自動車をはじめ
国内自動車メーカーが、
オイルショックや排気ガス規制のため
1978年にモータースポーツ事業から
撤退
します。

それからの8年間、
篠塚建次郎さんはラリーストとして、
ほとんど活動することはできず、
サラリーマンとして過ごします。

20代後半から30代後半まで、
ドライバーとして体力や精神力など
いちばん良い時にハンドルを
握れなかったのは悔しかったでしょう。

 

そんな時期でもくさることなく、
一流のサラリーマンを
目指したとのことで、
さすが団塊の世代は違うと思います。

いや、篠塚建次郎さんだかろこその根性でしょう。。。

しかし、当初からプロドライバーとしての
契約だったとか考えると、
最悪の暗黒の8年間に
なったかも知れませんね。

パリダカを完走できる日本人として

1985年、三菱パジェロは
パリダカで総合優勝します。

しかし、ドライバーは外国人。

日本人として出場していたのは、
俳優の夏木陽介さんでしたが、
完走とはならず、リタイヤしています。

そして、パリダカを完走できる
日本人探し
が始まります。

 

篠塚建次郎さんの名前が
あがったのは言うまでもありません。

8年が過ぎ、
篠塚建次郎さんは37歳でした。

 

そして、夏木陽介さんと共に1986年の
パリダカに参戦することになり、

まずは、様子見で
参戦したパリダカでしたが、
46位だったものの
見事というか期待を裏切らず完走
します。

8年のブランクなんか
関係なしって感じですよね。

 

その翌年の1987年は夏木陽介さんが
監督を務め、ドライバーは
篠塚健次郎さん増岡浩さんからなる
「チームシチズン夏木」として参戦し、
見事総合3位を獲得します。

さらに、篠塚健次郎さん48歳、97年の
ダカール・ラリー(パリダカ改め)では
参戦12年目にして、
日本人初の総合優勝を達成します。

2000年には更にラリーに集中したい
との希望でフランス・パリに赴任します。

三菱自動車も太っ腹ですが、
これまでのラリーの成績を
鑑みれば当たり前といえば、
当たり前ですね。

 

でも、いちプロドライバーとして、
海外に拠点を移すとなると
大きな経費がかかりますが、

サラリーマンとして、
しかもご自身希望の赴任ですので、
サラリーマンドライバーを選択していた
篠塚健次郎さんは
なかなかしたたか者ですね。。。

 

還暦を過ぎても現役ドライバー

2002年1月のダカール・ラリーは、

ダカールラリー

http://www.mitsubishi-motors.com/motorsports/j/97DAKAR/daily.html

総合3位(優勝は増岡浩)で、
それを最後に三菱自動車を退社しました。

すでに53歳だった篠塚健次郎さんは、
サラリーマンとして三菱自動車に残るか、
ラリーストとして現役を貫くことで
退社するかの選択を強いられます。

 

結果は、やはりというか必然的に、
ラリーストとして現役を貫くことで、
フリードライバーとして
55歳で日産と契約します。

 

55歳でフリードライバーとして
契約
できるなんて、スゴイことですね。

ラリースト・篠塚健次郎という
ネームバリューはそれほど大きいもの
だということが分かります。

 

そして、大きな怪我や体力の衰えなどを
理由に引退予告などもしましたが、

2007年までダカールラリーに
参戦を続けた篠塚健次郎さんは
名実ともにワールドワイドな
トップラリーストであることを
証明しました。

もちろんパリダカ以外の、
いくつもの世界的ラリー選手権で
総合優勝争いの前線で
走り続けたことは言うまでもありません。

 

還暦を過ぎた2010年代に入っても、
国内外問わずクラシックカーラリーなどを
中心に現役活動を続けています。

 

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篠塚健次郎さんは家族でペンション経営

La VERDURA(ら・べるでゅーら)

https://la-verdura.club/

ラリードライバーとしての
篠塚健次郎さんのことは一旦休憩。

ということで、ここからは、
ご家族で経営されている
ペンションについて。

 

篠塚健次郎さんは、
奥様と息子さんのご家族3人で
ペンション経営
をされています。

そして、篠塚健次郎さんの
奥様のひろ子さんは
元女優で歌手の牧陽子さん。

息子さんは絲木建太という芸名で
俳優活動を行っています。

いわゆる有名人一家ですね。

 

ペンション経営を始めたのは、
妻のひろ子さんで、
芸能界引退後の1986年秋に
山梨県の清里でオープンしました。

 

篠塚健次郎さんとひろ子さんが
ご結婚されたのが1987年で、
篠塚健次郎さんがパリダカ参戦で
活躍した頃です。

篠塚健次郎さんにとって、
8年間のブランク後
パリダカ参戦での活躍、
そして、結婚と一気弾けた感じが、
個人的にはしますね。

ペンションの名称は、
La VERDURA
(ら・べるでゅーら)

「La VERDURE」は
イタリア語で「野菜たち」
という意味だそうです。

 

「La VERDURE」は、
1986年にオープンしましたが、
2000年に篠塚建次郎さんが
フランス・パリの三菱事業所に
赴任を機に、長期休業に入ります。

その後、長期休業を経て、2013年に
リニューアルオープン
しました。

オープン当初は、
まだ生まれていなかった
息子の建太さんが、
新たにマネージャーとして加わります。

 

篠塚健次郎さんがホスト、
ひろ子さんがオーナー、
建太さんがマネージャー
として、
ご家族でペンション
「La VERDURE」
盛り立てているご様子です。

そして、ペンションの各部屋には
トマト、キャベツ、さやえんどう、
人参、じゃがいも、なす等の名前が、
もちろんイタリア語でついており、
どの部屋もとても優しく、
可愛い感じがしています。

 

常に危険と隣り合わせの
ラリードライバーとして活躍していた
篠塚健次郎さんを、常に支えていた
妻のひろ子さんですが、

篠塚健次郎さんも
ペンションのホストとして
妻のひろ子さんを支えるあたりは、
羨ましいですね、、、。

また、息子さんがマネージャーとして
ペンション経営に携わってくれるとは、
とても仲がいい家族」という言葉以上に
一体感を感じます。

 

いつまでも現役のラリードライバー -まとめ-

篠塚建次郎

http://www.mitsubishi-motors.com/motorsports/j/97DAKAR/daily.html

2008年には、
母校の東海大学チャレンジセンターの
ソーラーカーチームから、
特別アドバイザーに就任の要請があり
それを承諾します。

ここでも現役ドライバーに
こだわる篠塚健次郎さんは、
2009年、2010年、2011年と
ソーラーカーのドライバーとしても
ハンドルを握り、
優勝に大きく貢献
しました。

 

2012年には、
新たに「ソーラーカーチーム篠塚」を
結成し、FIA公認のレースなどで、
好成績を残しています。

また、2014年8月、
下地島空港(沖縄県宮古島市)の
滑走路にて、ギネス公式認定の
ソーラーカー世界最高速記録を
更新
します。
認定記録は91.332km/h。

 

かつては、排ガスを撒き散らしながら
(言い方はとても悪いですが)、
荒れた道無き道を走行していた
篠塚健次郎さんですが、

ソーラーカーとういう
超エコで環境に優しい乗り物でも、
本来の負けん気の強さで
好成績を残すところは、
やはりさすがですね!

 

最高齢現役ドライバーへ!

勝負がかかると楽しい

と、あるインタビュー記事を
読みましたが、ラリーストにしても、
サラリーマンにしても
篠塚健次郎さんにとっては、
勝負に負けることができない
という根性から、

現在も現役にこだわっているのでしょう。

現在は、パリダカで総合優勝を
狙うような走りはやめているようですが、
アジアクロスカントリーラリー、
ソーラーカーレースなど、
現在でも年5.6回はレース
参戦しているそうです

 

また、特に病気もなく、
日々のトレーニング
欠かさず行っており、
ここでも現役にこだわる
篠塚健次郎さんがかい間見られます。

(もちろん、ペンションのホストを
優先させてのトレーニングだそうですがw)

走ることを辞めれば篠原ではなくなる

妻・ひろ子さんのあるインタビューで
上記のとような旨の発言をされています。

これまで紆余曲折があった
サラリーマンドライバーで、
レース中に大きな怪我などもありましが、
現在も現役ドライバーとして
活躍できることは、

妻のひろ子さんの
ご理解なくしてはなかったでしょうね。

いちファンとして達成してほしいのは、
最高齢現役ドライバーです!

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