森保一が日本代表監督!経歴や戦術は?愛用の腕時計も気になる!

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森保一監督
http://livedoor.blogimg.jp/j2dokko/imgs/b/2/b2d34343.jpg

日本代表監督に就任した森保一氏。

その経歴や戦術も気になりますが、
左腕にはめた侍ブルーな
腕時計がウブロなのか気になります。

この記事では、
森保一氏のプロフィール、
娘(森保まどか?)や息子、
家族などを調べました。

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森保一のプロフィール

もりやす はじめ

1968年8月23日生まれ、
49歳(2018年7月現在)

元サッカー日本代表

オリンピック日本代表兼日本A代表監督

長崎県長崎市出身

生まれは、静岡県掛川市でしたが、
父親の仕事(造船関係者)の影響で、

幾度も引っ越しを経験し、
小学1年生から長崎県長崎市に
定住します。

長崎市立深堀中学校卒
長崎日本大学高等学校卒

当初は、サッカー強豪校で
地元のサッカー少年たち憧れの
長崎県立国見高等学校に進学しようと
思っていた
そうですが、

森保一氏の受験勉強に努力しない
不真面目な姿勢から、父親に
長崎県立国見高等学校への進学を
反対されました。

結果的には、
長崎日本大学高等学校へ進学し、
高校時代が無名の選手で終わります。

高校時代は「MF」

愛称は「ポイチ

愛称の由来は、高校時代、
公式記録などで「森 保一」と
勘違いされたことから、
同級生がポイチと呼び出したことが
始まりとされています。

ポイチカントク!
なかなか、親しみがあります。

プロサッカー選手として

サッカーを本格的に始めたのは、
小学5年生からで、

小学6年生の頃に、
全日本少年サッカー大会に
GKとして出場しました。

高校時代の監督であった
下田規貴氏の計らいで、

現サンフレッチェ広島の前身である
日本サッカーリーグの
マツダの今西和男監督
コーチのハンス・オフトが、

広島から長崎に高校時代の
森保一氏のプレーを見に来ます。

そこで、その二人に見出せれ…
プロへ、とういう訳ではなく、

むしろ、あまり興味がわかない
選手だった
ようです。

今西和男監督

しかしながら、その後、
今西和男監督は、
森保一氏のプレーに
何か光るものを感じ、

マツダのテストのため
練習への参加を促します。

そのテストでの好成績から…
プロへ、とういう訳ではなく、

練習について行くのが、
やっとの森保一氏だったようです。

しかしながら、その後、
今西和男監督は、
森保一氏と面談を行い、

終始、目を見て受け答えをする
森保一氏の集中力に、
何か光るものを感じ、
採用を決めたそうです。

もちろん、
無名の選手であった森保一氏は
幸せいっぱい。

その後、紆余曲折がありながらも、

1987年、
無事にマツダサッカー部に
入団が決まります。

今西和男監督がいなければ、
森保一氏というその原石は、
磨きもかけられなかったでしょう。

マツダとプロ契約、日本代表へ

当初は、サテライトチームである
マツダSC東洋でのプレーを余儀なく
されていましたが、

1991年、
22歳でマツダとプロ契約を結びます。
そして、JSL1部昇格に貢献しました

1992年4月、
ハンス・オフトが日本代表監督に
就任すると日本代表に初招集されます。

当時、森保一氏は無名中の無名、
誰一人「モリヤス」と読めなかった
ほど無名でした。

1992年5月、
初戦のアルゼンチン戦で
先発メンバーとして初出場を果たし、

のちに「森保」、「ボランチ」の
名称が知れ渡ります。

この時に、「ボランチ」という
サッカー用語を知った方も多いはず。

以降レギュラーとして活躍し、
1993年、
あのドーハの悲劇も経験します。

クラブチームで優勝に貢献、しかし、

日本代表として活躍に
比例するように森保一氏の
名前も日本中に知れ渡ります。

1993年、Jリーグが開幕、
サンフレッチェ広島の選手として活躍

1994年のサントリーシリーズでは、
ステージ優勝に貢献したします。

1995年にもボランチやトップ下・リベロ
活躍を見せます。

しかし、1995年7月に、
右足首関節脱臼骨折をし、
満足に活躍できませんでした。

その後も日本代表に選出されましたが、
1996年2月、山口素弘選手が
ボランチに定着すると同時に、
日本代表から退きます。

現役引退へ

サッカー選手としてピークを
迎えた森保一氏は、1998年に
再びハンス・オフトに誘われ、

京都パープルサンガに
レンタル移籍
します、

当初は、完全移籍だったのですが、
結果的にレンタル移籍になった
理由は、

サンフレッチェ広島が、
森保一氏の放出することに、
サポーターが移籍反対の
署名活動を行った
ことからです。

名目上はレンタル移籍ですが、
実質的には、完全移籍でした。

もちろん、移籍後も、
引き続き主力としてチームを支えました。

無名だった頃を思うと、
広島からも京都からも
必要とされることは、
すごいことですね・・・。

1999年に、広島に復帰し、
広島の選手として初めて、
Jリーグ通算200試合出場達成します。

その後、2002年、
思うようにプレーできない
森保一氏に広島からスタッフへの
転進の誘いを受けますが、

現役にこだわる森保一氏は、
現役最後のチームにベガルタ仙台
選びます。

2004年1月、
正式に現役引退を表明
しました。

サッカー監督として

2004年の現役引退後、
すぐにサンフレッチェ広島の
強化部のコーチ
に就任します。

2005年2月、
U-19サッカー日本代表コーチと兼務

2006年11月、
AFCユース選手権2006に
U-19日本代表コーチとして準優勝

2007年、
FIFA U-20ワールドカップに
コーチ
として参加。

2007年9月、
サンフレッチェ広島の
トップチームコーチに就任。

2010年、
アルビレックス新潟の
ヘッドコーチに就任。

2012年、
古巣のサンフレッチェ広島に復帰

クラブ初「生え抜き監督」として、
話題
になりました。

そして、同シーズン、
J1年間優勝

この優勝は、日本人で
元Jリーガーの監督としては初

日本人で1年目新人監督としては
松木安太郎以来2人目

として、大いに注目されました。

2013年にも、J1連覇を達成します。

J1連覇は、松木安太郎、岡田武史、
オズワルド・オリヴェイラ以来4人目。

2014年は、8位に終わったものの、
2ステージ制が復活した2015年は
再び年間優勝を果たします。

4年間で3度のリーグ優勝を果たしました。

2017年7月、
サンフレッチェ広島の成績不振のため
監督を辞任します。

2017年10月、
2020年東京オリンピックへ向けて、
五輪日本代表の監督に就任します。

2018年4月FIFAワールドカップ
ロシア大会の日本監督人事に際し、
紆余曲折があり、

西野朗氏へ監督交代とともに、
森保一氏は、コーチとして
新体制に参画。

日本代表チームが、
W杯ロシア大会16強進出に
貢献しました。

2018年7月26日、
日本代表監督就任が発表されました。

ワールドカップ日本代表と
五輪日本代表の兼任監督となりました。

恩師である今西和男監督でも
できなかったことですが、

今西和男監督がいなければ、
監督としての森保一氏も
いなかったのは、
言うまでもありません。

森保一の戦術は?

森保一氏が、サンフレッチェ広島の
監督就任直後は、

前任のミハイロ・ペトロヴィッチ監督の
フォーメーションを踏襲した
3-2-4-1でワントップでした。

しかし、試合状況により、
4-3-3や5-4-1に
なったりします。

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森保一の家族は?

実弟に森保洋。

そして、森保一監督には、
3人の息子さんがいます。

長男:森保翔平
2015年までカマタマーレ讃岐で
プレーしました。

次男:2016年から
オーストラリアのエッジワースFCで
フォワードとしてプレイ。

三男:サンフレッチェ広島F.Cの
育成組織に所属しています。

みなさん、ほぼ、無名の
サッカー選手ですが、
森保一監督同様に、
これから有名になっていくのでしょうか?

で、、、

娘さんがいるのでは?と、
思った方も多いでしょう。

HKT48の森保まどかさんが娘との
噂がありますね。

実際、「森保一」で検索すると
森保まどか」がヒットします。

これは、完全なガセネタです。

森保という名字が、
あまりないことから、
そのような情報が出たのでしょう。

森保一の腕時計も侍ブルー

森保一監督

酒巻俊介撮影

監督就任の記者会見で見せるポーズは、
お約束的なポーズですが、

監督としての成績は、
お約束ではないファンをあっと
いわせるサプライズも
欲しいところですね。

そんな、森保一監督の左腕につけられた
腕時計が気になります。

カラーは侍ブルー。

この時計は、ワールドカップで
日本代表がつけてる時計みたいです。

高級腕時計メーカーである、
HUBLOT(ウブロ)

ウブロは、2015年から
日本サッカー界とも契約しています。

https://www.rasin.co.jp/blog/wp-content/uploads/2018/05/hublot.png

このモデルは、
ビッグ・バン ブルー ヴィクトリー
型番:301.SX.7123.VR.FCJ15

監督、コーチ、選手の順に
提供された時計で、2015年12月には
一般販売されています。

もともと、製造数が少なったため、
今では希少なレアモデルです。

 

見た目、同じようなモデル
型番 301.SX.7170.LR

 

ウブロ クラシックフュージョン
542.NX.7170.LR

このモデルは、西野朗監督が
監督就任時につけていたモデル。

もちろん、森保一監督が、
この同一モデルをつけているのかは
定かではありませんが、

森保一監督がつけていた
腕時計はウブロなのは
間違いありません。

もちろん、世界一へ。-まとめ-

サンフレッチェ広島の監督としては、
好成績を残しているものの、

現在、ACL通算では、
3勝6分け5敗とパッとしない成績です。

かつて、
日本に「ボランチ」という
サッカー用語が知られる
きっかけとなった選手であり、

ハンス・オフトの申し子」、
ビハインド・ザ・ボールの申し子」、

とも言われた森保一監督ですが、

これから、監督として、
どのような形容をもって語られるのか
とても楽しみですね。

ポイチカントクに期待!

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