生沢徹とポルシェ!スカイラインGT、レクサス との顛末とは?

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国産車であるプリンス・スカイラインGTが、
今は亡き「式場壮吉」が乗る
ポルシェカレラ904GTSを
抜いて1週トップを走りました。

レースの結果はポルシェ904が勝ちましたが、
当時の若きエース「生沢徹」と
プリンス・スカイラインGTが
あのポルシェを後にし首位を走る光景に
観客が熱狂し、日本国中の
モータースポーツファンが驚喜しました。

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約50年前の1964年の第2回日本グランプリ


「Nissan Newsroom スカイライン伝説の始まり」より

国産車であるプリンス・スカイラインGTが、
今は亡き「式場壮吉」が乗る
ポルシェカレラ904GTSを
抜いて1週トップを走りました。

レースの結果はポルシェ904が勝ちましたが、
当時の若きエース「生沢徹」と
プリンス・スカイラインGTが
あのポルシェを後にし首位を走る光景に
観客が熱狂し、日本国中の
モータースポーツファンが驚喜しました。

「スカイライン伝説」「スカイライン神話」
として有名な話です。

この記事では、かつてスカイラインGTの
ドライバーであった生沢徹についてチェックします。

GT2-1_904
ポルシェカレラ904GTS(式場壮吉)http://since1957.blog130.fc2.com/

GT2-41_S54
プリンス・スカイラインGT(生沢徹)http://since1957.blog130.fc2.com/

生沢徹とは(敬称略)

生沢 徹(いくざわ てつ)
1942年8月21日生まれ、73歳

1464883241

http://blog.sensya.com/president/index.php より

日本のカーレース創成期の
スター選手の1人でありパイオニア的な
存在と評されています。

そして、実力は海外でも評価され、
ポルシェ本社のワークスチームに招聘された
唯一の日本人ドライバーとなりました。

国内レース出場のため帰国すると、
記者会見が開かれるほどのスター選手でもありました。

現在は、
イクザワ・マーケティング・インターナショナル代表
として、ロンドン・モナコ・東京に拠点を構え
活動しているそうです。

ロンドンとモナコにポルシェ

生沢徹は、ポルシェなど往年の
レーシングカーコレクターとして
有名です。


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そして、ロンドン用には右ハンドル、
モナコ用には左ハンドルと、それぞれ、
ポルシェ911カレラS ティプトロを所望。

そして、
東京用にはトヨタファンでもある生沢徹は
レクサス・IS Fを所望しましたが・・・

p1
ポルシェ911カレラS ティプトロと奥様

東京ではレクサスIS-Fを乗るつもりで、
最寄りのディーラーへ。最寄りのディーラーへ
そっとお買い求めにいくのは
生沢氏の配慮でしょう。

当時の愛車であるマツダ・アクセラに乗り、
履き込んだジーパンとスニーカーという
普段着でレクサスIS-Fを
お買い求めにいったそうです。

そして、そのディーラーの担当者は
その生沢徹の車と服装をみて
非常に悪い接客をしたようです。

それに失望し気を悪くした生沢徹は
近くのポルシェディーラーへ向かい、
ロンドン用とモナコ用に続き、
東京用にもポルシェを注文したそうです。

そのポルシェディーラーでは
レクサスディーラーの比較にならないほどの
接待を受けたでしょう。

この時、トヨタレクサス社は
千載一遇の宣伝チャンスを見事に逃したのでした。

2007年頃のお話です。
よくある昔話の一コマのような話ですね。

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↑マツダ・アクセラ 2007年当時の新車価格は151.1万円~206万円
↓レクサス・IS F 2007年当時の新車価格は766万円

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そして、ポルシェ

上記のようなことから
ロンドン・モナコ、そして東京でも
ポルシェに乗られているようです。

50年前にレースで初めて
日本車でポルシェを抜き、

日本人で唯一のポルシェ本社の
ワークスドライバーとなり、

ロンドン・モナコ・東京で
ポルシェに乗っている生沢徹。

もちろん、
今後もポルシェとの縁は切れませんね。

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