村正は幸村も愛用!なぜ、妖刀なのか?価格(値段)はいくら?

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時代劇や映画などに登場する日本刀「村正

「村正」は、国宝や重要文化財に指定され、
名刀といわれる「正宗」と違い、妖刀として、
妖しい魅力があるせいか、
正宗と同様に知名度は抜群です。

以前は、年配の男性の間でのみの人気だった
ようですが、最近では、ゲームやアニメに
登場するようになった影響からか、
若い女性の間でもよく知られる
存在になっています。

そして、村正の発祥の地である伊勢国桑名、
現在の三重県桑名市では、
実物が鑑賞できる展示会や
包丁がとても人気のようです。

この記事では、妖刀といわれ、妖しい魅力を放つ
「村正」の発祥や妖刀といわれる所以などに
ついてチェックしてみました。

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なぜ、村正は妖刀といわれるのか?

村正

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-7c-5d/to7002/folder/1211233/97/35763697/img_2?1349339906

村正は、現在の三重県桑名市である
伊勢国桑で三代に渡って栄えた刀鍛冶の名です。

初代は特に有名な室町時代の
千子村正」で、初代から代を重ね、
江戸時代まで続いたようです。

その間に、なぜ、村正は妖刀と
いわれるようになったのでしょうか?

下記にまとめてみました。

松平清康

徳川家康の祖父にあたる松平清康が、
天文4年(1535年)12月、
織田氏の尾張の守山城に侵攻中、
突然、家臣のに斬られ即死。

これを守山(森山)崩れとも」と呼ばれ、
この事件で使用された刀が「千子村正」
伝えられています。

松平広忠

家康の父である松平広忠が、
天文18年(1549年)、
乱心した家臣に城中で殺害される事件。

この事件で使用された刀も「村正」だと
いわれています。

しかしながら、広忠の死因には諸説あって、
そのうちのひとつが、この「村正」で殺害された
事件で創作されたともいわれています。

松平信康

家康の嫡男である松平信康が、
天正7年(1579年)、
築山殿(家康の正室)と武田氏への
内通を、織田信長に疑われました。

その嫌疑を晴らすため、
家康は信康を切腹を命じ、
その際の介錯に使用された刀が
「村正」であったと伝えられています。

家康も、駿河今川氏で人質として
暮らしていた幼少期に、
「村正」の短刀で手を切ったとも
伝えられています。

そして、関ケ原の合戦の際にも、
敵将を討ち取った槍の検分の際、
家臣が誤って家康の指を切ってしまった
といわれ、その際の槍頭が「村正」でした。

これらのことから、徳川家では「村正」を
忌み嫌い、すべて廃棄処分になりました。


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しかし、「妖刀」といわれるのは、
徳川家からみた場合であって、
徳川家を敵視する側にとっては名刀で、
「村正」を愛用する武将も少なからずいました。

村正は幸村も愛用した

真田幸村,村正

いつの時代も人気の真田幸村ですが、
その幸村が愛用した刀が「村正」といわれています。

幸村は、大坂夏の陣では活躍したものの
最期は討ち取られてしまうのですが、
その大坂夏の陣で、家康の本陣を
襲ったのはとても有名な話です。

その際には、もちろん「村正」を
手にしていたわけですが、
その村正を家康に投げつけたともい
われています。

本陣にまで突入してくる幸村などの
攻撃により、一時は自害も覚悟した
家康でしたが、結果がご存知の通りです。

しかし、もし、自害することになった際、
切腹に使用する刀は、巡り巡って、、
「村正」だったかもしれませんね。

村正の価格(値段)はいくら?

村正でもピンからキリまであるようで、
本物で状態がいいものだと、

  • 初代村正の作で、1,500万円
  • 二代目村正の作で、1,500万円
  • 三代目村正の作で、850万円

ネットオークションなどでは、数十万円といった
価格もあるようですが、
やはり偽物も多く出回っているそうです。

このような刀剣は村正に限らず、
素人が興味本位で手を出すと、
違う意味で「妖刀」になりかねませんので
ご注意を。(カモにされます。)

ちなみに、名刀と言われる正宗は、
2,500万円や5,000万円といった
価格がつくようです。

そして、村正の包丁は1~4万円で、
一般的な家庭用の包丁よりは割高です。

まとめ

村正

松平家から始まり、徳川家になっても
その災いと共にあるのは「村正」でした。

家康の祖父、父、当時の嫡男、
そして、家康自身もケガなどの災難に会う
ということで、よほどの因縁があるのでしょう。

そうした伝承や言い伝えは、
多少は創作されたものではあると思いますが、
そのような逸話があるからこそ、
「村正」という名の、なんとも言えない
美しくも妖しい響きに魅了されるのでしょう。

松平家~徳川家と災いをもたらした
村正」ですが、家康自身はそれによって
命を落とすことがありませんでした。

家康の最期は、鯛の天ぷらによる
食中毒が原因というのは有名ですね。

そして、その鯛を調理したのが
「村正」の短刀だった、、、

のかは分かりませんが、
あってもおかしくはないですよね。

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